タモリにとって「ジャズな人」とは何か---70歳の『タモリ学』

明日、8月22日をもってタモリさんは、70歳の誕生日を迎えます。古希!
というわけで、昨年も誕生日に合わせて「大タモリ年表」を更新しましたが、今年も一部修正を反映した上で、この1年を追記して更新しています!matogrosso.jp
この年表を見ても分かる通り、タモリさんは実に精力的です。
『いいとも!』が終わって少しはゆっくりするのかと思いましたが、ますます元気。特に69歳になって以降の働きっぷりには驚かされます。
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中でも特質すべきはやはり昨年10月から始まった『ヨルタモリ』と、今年4月から新シーズンが始まった『ブラタモリ』でしょう。
とりわけ『ヨルタモリ』は「タモリ史」を語る上でも極めて重要な番組ではないかと思います。

「あの人(タモリ)は32年間聞き続けてきた。もう飽々したんだよ。今度はオレのことを聞いてよって。32年間聞いたんだよオレは、昼間からって」

タモリ扮するジャズ喫茶の店主「吉原さん」はそう言っています。
『ヨルタモリ』でタモリさんは常に誰かに「なりすまし」しています。だから、今まではあくまでもゲストを迎える「聞き手」でしたが、「なりすまし」して自分ではないからこそ、逆に自分の考えや話を積極的に話してくれるようになりました。
それらの話を聴いていると、おこがましいことを言えば、『タモリ学』に書いたことの答え合わせをしているかのような感覚に陥ることがよくあります。

(以降、引用部分はタモリさんが誰かに「なりすまし」した上で語ったものが大半ですが、タモリさんの発言として引用しています)

「変態」

たとえば「変態」について。

「僕は変態ですよ。人間誰だって変態ですよ。変態の第一歩は恋愛だと思ってますからね。
生殖行為っつうのは第一義は子孫を残すことでしょ。それに精神的なものが入ってくること自体が変態。恋愛というのは生殖行為に精神性が入ってくるわけでしょ。精神が入ってくると変態の第一歩。変態っていうのはクリエイティブなことですよ。建築をつくるのと同じなんですよ。クリエイティブな人間の精神性の最高のものがない限り、変態にはなりえないんですから」

これは以前からよく語っていることで、『タモリ学』でも以下のような発言を引用しています。

「つまり、ほんとの純粋なセックスは何かっていうと、犬ぐらいしかないんですよね」
愛してるっていう観念がセックスに入ってきてるんですよね」
恋愛っつうのは、変態の第一歩
人類、みな変態

さらに『タモリ学』では、この変態性をいかにクリエイティブに結びつけるかについて、タモリ本人の証言にもとに、「タモリにとって『エロス』とは何か」の章で詳しく迫っています。

「友だち」「夢」「愛」

また『ヨルタモリ』では、「友だち」や「夢」や「愛」についてこう語っています。

「教育がおかしいよね。夢を持ちなさい、友だちを持てって、友だちなんかいなくたって生きていけんだよね
「愛って素晴らしいよねって言うけれども、愛が達成されなくなったら人を殺すんだよ。執着なんだよ」「愛ってキレイなものじゃないんだよ。いいときだけがキレイなの。悪くなったらものすごい汚いものになる」
愛と夢と友だちを言うヤツはオレは信用しないんだよ」
「若い子は愛というと恋愛と勘違いするんだよね。恋愛はあれは恋なんだよ。あれは愛ではない」
「愛というのは神しかいえないことじゃないの?」

これらのことについては『タモリ学』では以下のような発言を引用しています。

友だちなんかいなくたっていいじゃないですか。ゼロだってかまいはしないんですよ」
「(友だちなんて)できるときはできるし、できないときはできない。いらない」
夢なんてなくたって生きて行けるんだよ」
「夢がなかったら、自殺者がだいぶ減ると思うんです」
夢があるから絶望があるわけですから」
好きって気持ちがあるから人を攻撃したり妬んだりそういうことをするんだよ。そんな感情が一切なければ、親が殺されても殺した人になんの恨みも抱かない、好きという感情にはデメリットがあるんだよ」
恋愛しなきゃいけないっていうのはおかしいよね。しなくたっていい。恋愛に夢をかけすぎ

「意味」「言葉」

『ヨルタモリ』以外で言えば、1月1日に放送された『NHKスペシャル』「戦後70年 ニッポンの肖像 プロローグ 私たちはどう生きてきたか」でも数多くのことを語っていました。中でも「言葉」と「意味」について語ったものは、「タモリ」を読み解く上で非常に重要です。

タモリ: 僕は堺(雅人)くんとか他の方たちとは違って、あるものを言葉を全部信用してませんから。それを解体したいんですね。コミュニケーションも解体したいんですよ。いわゆる言葉っていうのは意味ですから。意味の連鎖が社会の秩序とか価値になってるわけですから。それを解体すれば何も意味がなくなってくるわけですね。で、意味の連鎖っつうのは非常に重いもんです、人間にとって。
有働アナ: なぜ解体したいんですか? みんな秩序があった方が動きやすいし生きやすい。
タモリ: 僕らの上の世代の、その重苦しい文化の雰囲気でしょうね。重いものがいい、暗いものがいい、言葉には意味があるとか、いうのの反発でしたね。ですから赤塚不二夫もその反発じゃなかったかと思うんですけどね。ひたすら、ひたすら意味がないですよね。

このあたりについては『タモリ学』で「タモリにとって『意味』とは何か」「タモリにとって『言葉』とは何か」というそのものズバリの章で詳細に考察しています。
まさにタモリさんの核心にあたる部分のひとつではないかと僕は考えています。

「ジャズな人」

そして『ヨルタモリ』でもっとも頻繁にタモリさんが語るのは「ジャズな人」という概念です。
最初に語ったのは昨年の11月9日、「吉原さん」が初登場した回です。  

「ジャズっていうジャンルがあるようで、ジャズっていう音楽はないの、実は。ジャズな人がいるだけなの。ジャズな人とがいて演奏するから、それがジャズになるの」
音楽がなくてもジャズな人はジャズなのよ。スウィングする人はスウィングしてるのよ」

これを契機に「ジャズな人」というのがタモリ最高の褒め言葉としてたびたび使われることになり、様々な人の「ジャズ」な部分を評していきます。

「(松たか子は)僕はジャズな人だと思うけどね。ただ、この方マジメで、完璧に仕上げる方だと歌、聴いてて思うんだよね。それはそれでまぁ、いいと思うんだけども、いっぺん何かこう自由に、『いいじゃねぇか、そこんとこ少し音が外れたって、やってみよう』という気持ちになったときに、すごいジャズな人になると思うんだよね」
「(甲本ヒロトは)ジャズじゃないのあれは。だって歌詞の作り方、ジャズだよ。全然違うこと言ってんだもんね。『ドブネズミみたいに、美しくなりたい』っていうのは、あれは美しさと、綺麗さっつうのをちゃんと分かってる人じゃないと書けない

これらの発言でタモリさんが評する「ジャズな人」がどんな人なのかだいたいのイメージがわいてくると思いますが、より具体的に語っているのが草彅剛について語った回です。

能町: 草彅さんはジャズですか?
タモリ: ジャズだね。ジャズな人って何かって言うと、向上心がない人のこと。
能町: ないからジャズなんですね(笑)。
タモリ: 誤解されちゃ困るけど、向上心がある人は、今日が明日のためにあるんだよ。向上心がない人は、今日が今日のためにあるんだよ。これがジャズの人よね。
草彅: 僕、向上心ないですかね?
タモリ: 向上心ないねえ。
草彅: それ逆にショックだよ(笑)。
タモリ: 向上心=邪念ってことだよね。
草彅: ああ、そうですか。よく人って夢のためにがんばるっていうじゃないですか。
タモリ: 夢があるようじゃ、人間終わりだね。
草彅: 僕もそれどうなのって思うんですよ。夢って何なの?って。思いません? それを美徳としてる感じがあるじゃないですか。「夢に向かってがんばろうぜ!」みたいな。じゃあ、夢が叶っちゃったらどうするの?って話で。
能町: 今まで夢とかなかったですか?
草彅: だから、夢ってわからないんですよね。小さい時からこの仕事をしているんで、ある意味早く叶ってしまったっていうのもあると思うんですよ。でも夢のためにがんばって目標立てて、毎日それだけのために生きていくって……。
タモリ: そう。夢が達成される前の区間はまったく意味がない、つまんない世界になる。これが向上心のある人の生き方なんだよね。悲劇的な生き方。夢が達成されなかったらどうなるんだ?ってことだよね。U-zhaanさんとかこう(タブラを)やるのは、夢じゃないんだよ。やってるだけの話だよね。好きでやっててこうなってるだけの話で。
U-zhaan: いつかどうなりたいと思ってやってたことはあんまりないですね。
タモリ: うん。好きでこれ面白いなってやってる人がみんなこういう風になってるんだよ。そういう人たちが夢を持ってやってたかっていうと、そうじゃないよね。それがジャズか、ジャズじゃないかの差。
宮沢: 今を濃厚に生きるかってことですか?
タモリ: そう。

これはまさに『タモリ学』の「タモリにとって『希望』とは何か」の章で考察したこととピッタリ重なります。
たとえばここで僕は以下の様な発言を引用しました。

「目標なんて、もっちゃいけません。目標をもつと、達成できないとイヤだし、達成するためにやりたいことを我慢するなんてバカみたいでしょう。(略)人間、行き当たりバッタリがいちばん」
向上心なんてなかったですからねぇ。今もないし」
ハングリー精神なんて邪魔。この世界ハングリー精神じゃダメだと思うんですけどね。笑いなんか人間の精神の余分なところでやってるわけでしょ」
人間の不幸は、どだい、全体像を求めるところにある」
「なんとか生き延びるっていうことが最優先。観念によって生きかたが制限されるっていうのが、あんまり良くないですね。正義であるとか、こうしなければならないというために、自分の生きかたを規制されるっていうのは、結局、言葉だけを信じて生きてるみたいなもんですからね」

そして僕はこう結論づけました。

「反省」もしない、「目標」も立てないのは、タモリが単純な虚無主義だからではない。むしろ逆で、過去の自分を振り返ったり、将来のことを考えてしまいがちな自分を嫌というほど知っているからこそ、あえてその執着を捨てたのではないか。それは「過去」の自分にも「未来」の自分にも縛られないということだ。「過去」からも「未来」からも自由になる。それは短絡的な絶望でも、安易な全肯定でもない。


「オレは何事においても期待していないところがある」


さまざまな紆余曲折を経たうえで、悲観も楽観もせず「これでいいのだ」とありのままに受け入れ、自由に生きる。それこそがタモリタモリたらしめているのだ。その現在にしか希望はないのだ。

まさにジャズな生き方とは、過去や未来に執着せず、「今」を自由に生きるという生き方なのです。


今回のエントリで引用した『タモリ学』からの発言は、もう数年~何十年も前に発言したものが大半です。
ですが、驚くほど変わっていないのが分かります。
僕は『タモリ学』の中で、タモリさんは「常に周囲のリクエストに応じた芸を見せ続けた」という点で密室芸時代も『いいとも』時代も、もっといえば学生時代も「変わっていない」と書きました。けれど、『ヨルタモリ』は、そうではなく、自分の好きなように作っているように見えます。
タモリさんは「変わった」のでしょうか。
そうではない、と僕は思います。タモリさんは遂に「本当に自分の好きなことを自由に作る」ということを強くリクエストされ、それに応じているだけなのです、きっと。


最後に先日の『ヨルタモリ』の番組内で、福山雅治タモリが“結成”し、バックを大友良英U-zhaanらが務める豪華バンド「THE LARK」*1によるバンドのテーマソングが演奏されました。そこでタモリが即興で歌った歌詞を引用します。

青い空を飛ぶ鳥
様々な飛び方あるけど
長い時間かけて
長い距離を飛ぶ 渡り鳥もいれば
俺たちは 長くは飛べない
青い空に染まって
大地と空の間を 行き来する鳥になる


ラーク ザ スカイラーク
ラーク ザ スカイラーク 
大地と空の間を飛ぶ
ザ スカイラーク ザ スカイラーク  
大地と空の間を飛ぶ


電子書籍版もあります。

*1:福山が「LARK」を父親に買ってきてあげたときに唯一褒められたことに由来