最高に幸福な一日

鶴瓶です…
見知らぬ番号からかかってきた電話をとって、その電話口から聴こえてきた声に驚愕しました。
これが噂に聞く、鶴瓶さんからの直電話!
一気に汗が吹き出ました。
もちろん『笑福亭鶴瓶論』を出版したからには、そういう方だと当然分かっていましたし、正直言ってそうしたリアクションをしていただけるかも、とは思っていました(鶴瓶さん側には今回の出版に関して寛大なご配慮とご協力をいただいていたので、僕の連絡先もご存じであることは分かっていたので)。
でも、ホントにマネージャーさんも何も通さず突然かかってくるとは、と驚くとともに、感激しました。
お電話では、これから収録する『きらきらアフロ』で『笑福亭鶴瓶論』のことを話すかもしれないということをわざわざご報告いただくという、何重にもありがたいお話。
その後、「どこ住んでんの?」など聞かれ、軽く雑談を交わし心臓の高鳴りが抑えられないまま電話を切りました。
ふと一息して、あ、これはもしかして「来れる場所に今いるなら、来てもいいよ」ということではないか、と思い至りました。
そう思い始めたらもう「鶴瓶イズム」で行くしかありません。
すぐにマネージャーさんに連絡を取り、行っても大丈夫かを確認し、押しかけるように行くと、鶴瓶さんは満面の笑みで迎えてくれました。
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そして、8月30日深夜放送の『きらきらアフロ』。
松嶋尚美さんとのトーク鶴瓶さんは以下のように紹介してくれました!

鶴瓶: 最近、俺の本が出たんよ。
松嶋: 俺の本?
鶴瓶: 『笑福亭鶴瓶論』言うの。鶴瓶さん出さはったん?って言うから、そんなん俺出すか? よう考えてください。『笑福亭鶴瓶論』っていう本を俺が出したら頭おかしいやん(笑)。俺は本なんか出さへんし、アレやけど、出す言う人がいはって、ええから勝手に出してって。いろんな雑誌のやつを全部調べはったんやろうな。それで出てるわけ、今。『笑福亭鶴瓶論』って。
松嶋: なんて書いてあんの? (帯を見ながら)スケベでもある…?
鶴瓶: スケベでもあんねんやろうけどね、この人がいろんなものを調べはったんやろうな、これ。『タモリ論』(※正しくは『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』です)を出してはる人や。
松嶋: あ、『論』が好き!(笑)
鶴瓶: 麻雀屋のおっさんやないんやから! 何が「ロンが好き」や!(笑) 違うがな、ホンマに簡単に言うなあ……。俺はホンマにな、お前論を出したいわ!(笑)

その他、カットされていましたが、「一般の方から電話がかかってきて、あの本のここが感動しましたって言われる。知ってるっちゅうねん! 俺の話や!」みたいなこともおっしゃっていました!


収録が終わり、ふわふわと地に足がつかない感じで帰宅すると、郵便受けに信じられないハガキが入っていました。
差出人は、高田文夫先生!
実は8月11日の『高田文夫のラジオビバリーヒルズ』で、高田さんが、「今読んでんだよ。凄いんだよこれ、1冊丸々鶴瓶ちゃん」と『笑福亭鶴瓶論』を紹介していただいたのですが、そのお礼の手紙を書いたところ、わざわざ直筆のお返事をいただいたのです。
もちろん、その細かな内容は言えませんが、笑いをまぶせつつ、これまでの著作を読んでいただいていることや、自分にとって今後の指針となる宝物のようなありがたい金言をいただきました。


本当にこの日、人生にこんな幸せな日があるのかってくらい幸福な一日でした。
長州力風に言えば「俺の人生にも、一度くらい幸せな時があってもいいだろう」。
その翌日、変なところに力が入っていたのか、左肩の激痛に悩まされることになってしまいましたが……。


さらに、この『きらきらアフロ』が放送された日にちょうど急遽開催された文化シャッターBXホールでの「笑福亭鶴瓶落語会」。僕は抽選に外れてしまったのだけど、当選した方から誘っていただき行くことができました!
演目はオープニングの鶴瓶噺から、一席目は文枝作の「悲しみよありがとう」、二席目は古典「妾馬」、三席目「山名屋浦里」とたっぷり堪能。二席目、三席目は複数回聴いてるけど、聴けば聴くほど良い。
そして、そのオープニングトークでも結構な時間を使って『笑福亭鶴瓶論』のことをお話してくださいました!
終演後、ご挨拶に伺うと、なんと打ち上げの食事会にも連れて行っていただきました!
僥倖!
ホントに幸福感溢れる楽しい空間でした!


その『笑福亭鶴瓶論』、お陰様で現在、4刷り!
好評発売中です! Kindle版も出ましたので、お好みに合わせて是非!

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恩讐の果に

今、僕はとても恵まれている立場にいると思います。
今時、テレビのことを真正面から書く書き手がほとんどいないというスキマにハマって、自分の実力以上に仕事をいただいているし、それによって経験も積んでまがいなりにもプロのライターと言えるようにもなりました。自分の嫌なことや興味のないことは書かずにすんでいるし、自分の好きなことを程よい若干ユルめのペースで書けている。
ありがたいことに書籍も2014年3月『タモリ学』での書籍デビュー以来、約3年半で7冊(うち共著1冊)という理想的な出版ペースだと思う。
周りにも恵まれ多くのチャンスをいただいてます。
だから、今の状況は理想的だと思う一方で、正直、ヌルいのではないかという危機感もあります。今はいいけど、このままではこの先、5年後、10年後はないのではないかと。
もう一歩踏み込んで、厳しい目にさらされる場所に行かなければならないんじゃないか。
そんな決意と覚悟を持って書いたのが本日発売された『笑福亭鶴瓶論』です!

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編集を担当してくださったのは数々の大ヒット新書を手がけてきた金寿煥さん。
デビュー以来、一緒に仕事をしたいと思い願っていた方。と同時に、組むのは恐くもありました。金さんと組んで鳴かず飛ばずの本を作ったとしたら、どう考えても自分の実力不足が露呈されてしまうからです。
そして、僕にとっては、ひとつ因縁(という言葉が適切か分かりませんが)もあります。
金さんは樋口毅宏さんの『タモリ論』を手掛けた方でもあるのです。
タモリ論』は、2013年7月に発売され、大ヒット。
ありそうでなかった企画であり、発売のタイミングも含めて、樋口さんはもとより、編集者の力を感じました。
このヒットを受け、さらに『笑っていいとも!』終了に伴い、数多の「タモリ本」が発売されました。
僕の『タモリ学』もそのひとつと言えるでしょう。

実際には、『タモリ論』発売のかなり前から(おそらく『タモリ論』の企画前から)企画が進められたのですが、僕の遅筆が原因で先を越されてしまい、僕の『タモリ学』は、“便乗本”の誹りを受けることになりました。一方で、無名の新人のデビュー作にもかかわらず現時点で4刷りを果たしたのは、タモリさんというテーマ自体が魅力的なのはもちろんですが、間違いなく『タモリ論』ヒットの恩恵を受けているのだと思います。だから勝手に恩讐半ばの感情があったりします。
で、当時の遅筆の原因のひとつは僕に別の本職があったからです。遅々として進まない中、『タモリ論』出版の話を聞いて焦った僕は追い込まれた末、安定した収入が得られる仕事を辞めました。つまり、僕が仕事を辞めた原因の一端は金さんにあるのです!(責任転嫁)
と言いつつ仕事を辞めたことに後悔は少しもなく、むしろ間接的に恩人と言って過言ではありません。
そういった意味でも、絶対に“売りたい”と思いました。
そう、今回の本は誤解を恐れずに言えば“売りたい”本なのです。
(そういうと、今までの本が“売りたい”と思っていなかったように捉えられてしまうかもしれませんが、もちろんそんなことはなく、ニュアンスを汲み取っていただけるとありがたいです。)

だから、発売前に重版が決まったのは本当に嬉しかったです。が、一方でプレッシャーが大きくなったのも事実。
通常は書店に並び、それが売れたから書店から注文が来て、重版が決まるという流れ。今回は、そうではなく、事前の書店からの注文が予想より多かったから重版が決まったもの。つまり、実際に売れるかどうかは未知数。大量に売れ残って返品の嵐だったらどうしよう……、そんな不安が押し寄せてきます。
でも、内容には自信があります!
後はいかに手にとって読んでもらうか。
そのために自分ができる限りのことをしたいと思います。
本書のテーマこそまさにそれ。
「人見知りしない。時間見知りしない。場所見知りしない。そこに対していかに助平であるか」
そんな鶴瓶さんの言葉を通して、スケベに生きるとはどういうことかを書きました。
だから、スケベに“売りたい”。
正直、プロモーション活動は苦手な場所。でもそれにひるまずやっていこうと。

というわけでまず、本書のベースとなった連載「鶴瓶のスケベ学」を掲載していた「cakes」にて、「笑福亭鶴瓶クロニクル」と題して、誕生から弟子時代までの年表を5回にわたって掲載します。
1回目、誕生から幼少期まではこちら 
cakes.mu

そして、8月20日に下北沢B&Bで、細田マサシさんを司会に明石家さんまフリークのエムカクさんとイベントを行います!
passmarket.yahoo.co.jp

他にも、様々なプロモーション活動を考え行っていきますので、よろしくお願いします!

日テレvsフジ 『24時間テレビ』とは何か

80年代前半から90年代前半にかけて、テレビの王様はフジテレビでした。
12年間、年間視聴率3冠王に輝いていました。
そこで苦渋を舐め続けていたのが、現在絶対王者に君臨する日本テレビです。
フジテレビの後塵を拝するどころか、一時は3位の座も危ぶまれ、最下位転落も現実味を帯びるほど低迷していました。
間違いなくこの頃、日本テレビは“敗者”でした。
しかし、80年代末、このままではいけないと世代交代が急速に進められ、遂に94年、フジテレビから三冠王者を奪還するのです。
「逆襲」とは、敗れざりし者たちだけに許された特権である――。
そんな日本テレビのテレビ屋たちの“逆襲”を描いたルポが本日(8月9日)発売号の『週刊文春』より『日本テレビ「最強バラエティ」のDNA』と題され5ページぶち抜きの短期集中連載されます!
(『週刊文春』ではすでに「テレビ健康診断」というコーナーで3号に1回のリレー連載を行っていますが、それとは別のものです。)

第1回は「日本テレビのいちばん長い日」。
日テレ変革の象徴であり、その逆襲の狼煙となった92年の『24時間テレビ』リニューアルを中心に描いたプロローグ的な章となっています。
92年の『24時間テレビ』は、若き日のダウンタウンを司会に大抜擢し、現在でも目玉企画となっている「24時間マラソン」が間寛平をランナーに初めて行われました。また、同じく現在もテーマソングとして使用されている「サライ」を生放送中に制作したのもこの年。
それが、どのような経緯で生まれたのか、数多くの関係者の証言をもとに紐解いています。
僕は、これまでこの手のものを書く際、基本的に取材を行わないスタンスでやってきましたが、今回は新境地。
当時、重要な役割を果たした錚々たる方々に取材を敢行し、それを元に書くという正攻法のやり方です。
(『新潮45』7月号でハウフルスの菅原正豊さんの人物ルポをやはり取材の上で書きましたが、それとほぼ同時期に取材を始めました)
取材を受けてくださった方の中には、あっと驚くような方も。
そんなわけで、今売りの号から5号連続(予定)でその前半が掲載されます!
是非!


そして、いよいよ明日10日には『笑福亭鶴瓶論』が発売されます!

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こちらも何卒よろしくお願いします!

8月10日『笑福亭鶴瓶論』発売!

いよいよ今月10日、新潮新書より『笑福亭鶴瓶論』が発売されます!
これは、「cakes」に連載していた「鶴瓶のスケベ学」をベースに、それを大幅に加筆修正の上、書き下ろしを加えたものです。

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大きめの帯がいい感じです!
担当編集者が書いてくれた本書の紹介は以下の通り。

笑福亭鶴瓶とは、〝スケベ〟である――。
テレビじゃ絶対語らない、運と縁を引き寄せる「国民的芸人」の人生哲学。


笑福亭鶴瓶こそが〝最強〟の芸人である――。
大物と対等にわたりあう一方で、後輩にはボロクソにイジられる。全国を訪ねて地元の人々と交流した翌日には、大ホールで落語を一席――。かくも老若男女に愛される「国民的芸人」の原動力とは何か?
生い立ちから結婚、反骨の若手時代、タモリ、たけし、さんまの「BIG3」、吉永小百合中村勘三郎らとの交遊、人気番組NHK鶴瓶の家族に乾杯」秘話まで。「テレビっ子」ライターが膨大な資料を駆使して、その長く曲がりくねった芸人人生をたどる。運と縁を引き寄せる、スケベで奥深い人生哲学に学べ!

謙遜している場合じゃないのであえて言えば、内容的には絶対の自信があります!
なので是非、一人でも多くの人に読んでいただきたいです!
本当に今回は、何としても売りたい……。
そんな風に思っていたところ、
なんと!

発売前に重版が決まりました!!

ありがたい!
これでより多くの書店に本が並ぶことになり、お買い求めしやすくなると思いますので、何卒、何卒よろしくお願いいたします!


そして、この出版を記念し、8月20日(日)15:00から、下北沢の本屋B&Bトークイベントを行います。
お相手は、なんとエムカクさん!
水道橋博士のメルマ旬報」に明石家さんま年表「明石家さんまヒストリー」を連載している関西在住の最強の素人(といっても今やさんまさんの特番などのリサーチャーをされていたりもしますが)!
東京で、エムカクさんの話を聞けるのは、極めて貴重だと思います。
タイトルは「笑福亭鶴瓶vs.明石家さんま」となっていますが、エムカクさんの知識量や熱量を考えるとトーク力を含め、負け戦は必至。
なので、鶴瓶さん、さんまさんを含め、芸人さんたちの魅力を語り合う会にしたいと思います!
司会は、芸人経験もある放送作家・ノンフィクション作家の細田昌志さん! 心強い!
というわけでこちらも是非!
bookandbeer.com

菅原正豊「素敵に恥をかかせたい」

本日発売の『新潮45』7月号で『ボキャブラ天国』『イカ天』『タモリ倶楽部』『アド街』『チューボですよ』『メリークリスマスショー』等々、数多く個性的なヒット番組を手がけてきた「ハウフルス」の菅原正豊さんの人物ルポ「テレビ屋稼業バカ一代」を書きました!

菅原正豊というと僕にとっては文句なしの「レジェンド」ですが、あまり表舞台に出ることを好まない方なので、もしかしたらご存じない方もいるかと思いますので、超簡易版の年譜を作ってみました。

1946年 誕生
1967年 慶應義塾大学在籍中、ADとして『11PM』に参加
1973年 26歳で企画会社「フルハウス」設立
1978年 テレビ制作会社「フルハウス テレビプロデュース」設立
1978年 『出没!おもしろMAP』で「ムキムキマン」がブームに
1982年 『タモリ倶楽部』開始
1984年 『TV海賊チャンネル』参加
1984年 『探検レストラン』参加。この中の企画が後に伊丹十三の映画『タンポポ』の元ネタに。
1986年 『メリークリスマスショー』放送
1987年 『ENKA TV』開始
1988年 『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』参加
1989年 『平成名物TV いかすバンド天国』で「イカ天ブーム」を巻き起こす。
1990年 『夜も一生けんめい。』開始
1990年 『マジカル頭脳パワー!!』参加
1991年 会社名を「ハウフルス」に改称
1991年 『ミュージックステーション』に企画ブレーンとして参加
1992年 『24時間テレビ 愛は地球を救う』(ダウンタウン司会)の総合演出。大幅リニューアルが成功。
1992年 『タモリボキャブラ天国』シリーズ開始。「ボキャ天ブーム」を巻き起こす。
1994年 『夜もヒッパレ一生けんめい』開始
1994年 『チューボーですよ!』開始
1995年 『出没!アド街ック天国』開始
1995年 『THE夜もヒッパレ』開始
1997年 『タモリの新哲学大王!』開始
1997年 『どっちの料理ショー』開始
1998年 第24回放送文化基金賞を個人として受賞
2007年 『秘密のケンミンSHOW』監修

と、特別な代表作を並べただけなのに、このものスゴい経歴!
「素敵に恥をかかせたい」というのが彼のモットー。素敵です。
僕はこれまで基本的に取材をせず過去の発言やインタビューなどを通して書くスタイルでしたが、今回はご本人はもちろん、関係者の方々への取材を元に書くというスタイルを初めて行いました!(同時進行で他の企画も進んでいますが、原稿化したのは初)
取材をしたのは、以下の方々です(敬称略)。

ハウフルス 菅原正豊(代表取締役演出家)
ハウフルス 津田誠(取締役、CP)
ハウフルス 高浦康江(取締役、CP)
日本テレビ 小杉善信(専務取締役、『夜も一生けんめい。』『SHOW by ショーバイ!!』『24時間テレビ』プロデューサー)
構成作家 海老克哉(現在のほぼすべての番組に参加)
構成作家 小山薫堂(主に80年代の番組に参加)
・元電通 菊池仁志(『おもしろMAP』『メリークリスマスショー』などの企画。大学の同級生)

合計約10時間にわたる取材に加え、膨大な資料を元にしたものを、わずか1万字弱にまとめるのは、かなり難しかったですが、是非、お読みいただければ!

3月10日『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった』発売!

日刊ゲンダイ」で現在も継続中の連載が100回分まとまり加筆・修正のうえ書籍化されます!
文春文庫より『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった』と題して*1、3月10日、発売です!

文庫サイズなのでお間違いなく!

ちなみにド派手な表紙はテレビのテロップのイメージです。


これは毎回テレビで何気なく発した一言をひとつ取り上げ、実はその何気ない言葉の裏には、その人がこれまで通ってきた生き方や背景が反映されているんじゃないかということを書いたもの。1本ごとは割りと短めでサクッと読めますが情報量は多め。「ザッピング」的にどこからでも読んで楽しんでいただけると思います!

テレビはもともと、放送されればそれで終わりというジャンルでした。しかし、いま、録画機器の発展やインターネットでの見逃し配信でその環境は変わりつつあります。またネットニュースなどではテレビ番組での発言を切り取り、センセーショナルな見出しをつけ拡散・炎上を狙うことも少なくありません。
だったら僕は同じ「切り取る」でもまったく違うアプローチをしたいと思いました。できるだけ何気ない、誰もが素通りして流れっぱなしになってしまう言葉。それをピックアップしてその背景を探っていきたい、と。そこにこそ、その人の本質が隠されているんじゃないかと思うからです。
そんなことをやるのは「ムダ」かもしれません。
なぜならテレビを通して彼らの「真意」なんて本当のところ、なにも分からないのだから。テレビなんて暇つぶしで見るものなのだから、そんなことをしても「無意味」だと。


けれど、人生で「ムダ」なことを僕に教えてくれたのはテレビです。
そして、その「ムダ」なことことや「無意味」なことこそが、実は人生を幸福に生きる上でいちばん必要なこと、また、「ムダ」なことの中にこそ大事なものがあることを、みんなテレビが教えてくれたのです。(「はじめに」より)


取り上げたのは、芸人から俳優、ミュージシャン、アイドル、文化人、そしてゆるキャラに至るまで多種多様。全てをフラットにするテレビそのものだと思っています。
そのラインナップは以下の通りです。

明石家さんま麻生久美子綾野剛有吉弘行石塚英彦石橋貴明伊東四朗今田耕司内村光良ウド鈴木蛭子能収及川光博大泉洋大竹一樹太田光太田光代岡村隆史勝俣州和加藤浩次香取慎吾狩野英孝カンニング竹山樹木希林久保ミツロウクリス松村黒柳徹子甲本ヒロト小堺一機、三四郎・小宮、堺雅人坂上忍さかなクン篠原ともえジミー大西清水富美加志村けん笑福亭鶴瓶杉村太蔵鈴木拓関根勤高田純次滝藤賢一武井壮武田鉄矢田中裕二田原総一朗、田村淳、タモリ壇蜜、千秋、千原ジュニア出川哲朗手塚とおる毒蝮三太夫所ジョージ友近中居正広長瀬智也中田敦彦中谷美紀、永野、二階堂ふみ西田敏行、博多大吉、博多華丸バカリズム萩本欽一濱田岳早見あかりハリウッドザコシショウビートたけし日村勇紀ふなっしーベッキー星野源又吉直樹、松岡修造、マツコ・デラックス、水谷豊、光浦靖子満島ひかり、美保純、宮沢りえ宮本浩次ムロツヨシ桃井かおり百田夏菜子安田顕矢作兼矢部浩之山崎弘也山里亮太山本耕史吉田敬レイザーラモンRG若林正恭渡部建

本書は、連載の掲載順ではなく、あいうえお順に並べ替えました。
これは内容的に時事性が重視されないという点と、タレント名鑑的に楽しんでもらえれば、と思ったからです*2
何人かには、丸山素直さんによるイラストも入っていて、楽しいです。何卒!

*1:当初、『人生で大事なこと~』といったようなタイトルで決まりかけていたんですが、僕が強硬にゴネて『ムダなことばかり』に変えてもらいました

*2:RGから若林正恭で終わると僕の本らしくて綺麗だったんですけど、渡部さんがそこに入るっていうのもまたいいなと

くだらないの中に

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水曜深夜は戦いだった。
深夜2時をすぎた頃になると、僕はそわそわし始め、「まだ早いかな?」と思いながらも待ちきれず出かける。
行き先は近所のコンビニ。
一刻も早く『週刊プロレス』を確認したかったのだ。
週刊プロレス』は当時木曜日発売。それがそのコンビニに搬入されるのが大抵水曜深夜(つまり木曜早朝)。それを店員が棚に並べるのが2時過ぎ。その頃合いを狙っていたのだ。

けれど、コンビニの店員は忙しい。僕が思い描いたとおりの時間に棚に並べてくれるとは限らない。早く並べてくれないかなと店内を伺いながらその時を待つ。僕と店員さんとの戦いだったのだ。店員さんにしてみれば、ただただ迷惑な客だっただろう。
そんなのを待つまでもなく、早く買える状態にしてくれと店員さんに言えばいいのだが、それを絶対に買うのならお願いすることもできたが、必ずしも買うわけではなかったから言いにくい。
なぜなら、当時僕が読みたかったのは「パンクラス」という団体の記事だけ*1パンクラスは頻繁に興行をやるわけではなかったので、まったく彼らに関する記事が載っていないことも少なくない。貧乏大学生だった僕には、載っていない号を買うほど財布に余裕はなかった。だから、まずは中身を確認したかったのだ。

 

もうすぐ棚に並ぶだろうという頃を見計らってコンビニに入る。だが、まだ搬入された袋に入ったまま。
でもきっともうすぐだからと思い、少しの時間、店内の商品を見ながら時間を潰す。
そんなときだ。
店内の放送から、「バカでえ~」とバカ笑いする声が聴こえてきた。
きっと当時もいまも、コンビニには決められた店内放送があったはずだ。だけど深夜に一人で任されているアルバイト。店員さんは放送くらい自由にしてもいいだろうと思ったのだろう。そして彼はきっと深夜ラジオのリスナーだったのだ。
だから水曜深夜は決まってその放送を店内に流しながら仕事をしていた。

最初は、どこかで聞いたことがあるなと思いつつ、誰が話しているのかは分からなかった。
2人は「ラビー」とか「ムッくん」とか愛称で呼び合っているからピンとこなかったのだ。
それが関根勤さんと小堺一機さんだと分かるのはそれから何週目かの頃だ。
そう、店内放送に流れていたのは、『水曜UP'S』時代の『コサキンDEワァオ!』だったのだ。
僕はいつしか『週刊プロレス』よりも、そちらの放送の声を聴くのが楽しみになっていった。
それ以来、コンビニに行く時間の前から、ラジオで彼らの放送を聴くようになり、すっかり僕は大学生時代、「コサキンリスナー」になったのだ。

 

星野源さんは、中学3年生から高校の3年間、コサキンリスナーだったという。
彼はそのラジオを「『くだらなさ』の英才教育」だったと評している。
僕と、星野さんは3学年違い。つまり、長い歴史のあるコサキンのラジオのうち、ほとんど同時期の放送を聴いていたことになる。
ところで、僕が初めてインタビュアーとして仕事をした相手は星野源さんだった(『TV Bros.』15年7月1日発売号掲載)。

それまで、福島県在住だったということを“言い訳”にそうした取材仕事はしてこなかったが、相手が星野さんとあれば断ったら一生後悔しそうで(ファンだったので)、お引き受けした。
また、その頃、僕はこのまま福島で書き続けるか、東京に出てくるか迷っている最中だった。福島で書いていても先細りしてしまうのではないか。けれど、東京に行けばやりたくない仕事や自信がない仕事もやらなくてはならなくなってしまうかもしれない。その一歩が踏み出せないでいるときだった。

星野さんのインタビューは星野さんが僕の拙い質問の意図を最大限汲み取ってもらったこともあって、自分でもいい記事になったと思った。
そして、この星野源さんとの仕事を通して僕は決心がついた。
上京することに決めたのだ。その年の暮れ、僕は上京。それからは、福島に住んでいたときにはやれなかった仕事をたくさんいただいた。今では本当に上京して良かったと思っている。

 

そして、上京から1年。思わぬ仕事の依頼が舞い込んだ。
それが、星野源さんと、関根勤さん&小堺一機さん(つまりコサキン)との鼎談の司会と構成だ。
上京後1年の締めくくりに、その上京を決心させてくれた星野源さんとの仕事。これ以上嬉しいものはなかった。
しかも、その鼎談する相手は、コサキン。星野さんとほぼ同時期に僕も彼らから「くだらなさの英才教育」を受けた一人なのだ。
なんなんだ、この偶然は!?
なんなんだ、この僥倖は!?
僕はその星のめぐり合わせに震えながら、3人の話に聞き入った。

コサキンの2人はいつもと変わらぬくだらないバカ話をして僕らを笑わせてくれた。
芸能人の先輩として星野さんに語る真面目な話とそこに挟み込まれるバカ話。それらがまったくの同価値としてそこにあった。
くだらないの中に愛が溢れた最高に幸せな空間だった。
イムリミットが告げられ、3人が名残惜しそうに鼎談を終えると、周りにいたスタッフから、大きな拍手が巻き起こった。
あまりにも贅沢で貴重な鼎談だった。

というわけでこの鼎談の記事が、星野源イヤーブック『YELLOW MAGAZINE 2016-2017』に収録されています。

星野源自身の言葉で存分に語るロングインタビューを始め、星野源がファンであることを公言している“コサキン”こと小堺一機さん、関根勤さんとの超豪華鼎談が実現。

その他にも、この本でしか見られない、【星野源 × 奥山由之】撮り下ろしフォトストーリーや、アルバム『YELLOW DANCER』全曲徹底解説、星野源をよく知る著名人からのコメントなど、全128ページに渡って、音楽家・星野源の2016年を、様々な角度から切り取った超豪華な1冊。

A!SMART」の通販ほか、各ライブ、フェス会場にて販売中です。是非!

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*1:当時僕は完全な“パンクラス信者”だった。パンクラスはプロレスから派生したいわゆる総合格闘技団体。他のプロレス団体とは一線を画していた。僕が東京の大学に進学したのも、パンクラス修斗といった総合格闘技を生観戦したいという一心だった